こーじーろがー

やりたがりで知りたがり。自分の中の不自然を自然に戻していく過程。生活のこと、引き寄せのこと、種のこと…全部が実験中なのです。

ディズニー化、そしてミッキーマウス化、大衆化について

 

ディズニー化

ディズニー化とは何か。シンデレラや白雪姫はディズニーによってアニメ化されることによって、何が削られ、何が加えられ、どうなったのだろうか?

イメージとしては、待つ女主人公の形成、ファンタジー要素の追加、子ども用、そんなところだろうか?多分、子ども用、というのは正しいだろう。その子どもを意識した際にどうなったかっていう論になるんだろうか?

 

そして、このディズニー化は、誰の意図のものだったのか?ディズニーという会社なのか、あるいはミッキーマウスの生みの親なのか?

 

そこで出てくるミッキーマウス化(ミッキーマウスの大衆化、あるいは子ども向け化)

ミッキーマウスって、最初のころはいたずらっこで問題起こしまくりだったんだよね、それが徐々になくなっていまのミッキーマウスが出来上がっている、と。そのいたずらっ子要素はドナルドに移行していった、というのを大学の授業でやったわけだが。

これって結構いろいろなキャラクターにあてはまるんじゃないかと思っているんだ。今思いつく限りではドラえもんとかね。ドラえもんも漫画→アニメの過程で、結構いい子ちゃん化してると思うんだよね。ドラえもんもだし、他のキャラクター(たとえばしずかちゃんとか)にも言えると思うんだ。

で、ここでもやっぱり子どもとか大衆ってポイントが出てくるのかなぁと。子ども向けに、大衆的になるときに、そのミッキーマウス化って起きてるんだろうから、子ども向け、大衆向けってのが何を意味しているのかってところがポイントになるかな。あるいは、子どもや大衆ではなく、商用なのかもしれない。商品としてお金を設けることを考えたときにそうなったのか?

そしてこのミッキーマウス化も誰の手によるものだったんだろう?

 

最後に、大衆化。

おもにグリム童話を考えて、まぁもともと大衆のものだったんだけど、それをグリム兄弟が本として出版して、それ以降どう変遷し、今どのように描かれているかについて。

グリム童話は出発がもともと大衆のものだったってのがミッキーやドラえもんと違うところかな。もともと大衆のものだったものを、本というメディアを通して再度大衆化した時にどうなったか、みたいな。

そしてそこから再びディズニーや絵本などを通してどのように変わっていったか。

 

 

うーむ、いっぱいいろいろなことが混在しているなぁ。

でもおもに、物事が一般大衆のものになった時、あるいは子どものものにしようとしたときにどうなるか、というようなところだろうか。

そしてそれが誰によって行われたのか、どのような意図だったのか(子どものためにだったのか、とか)というようなところかなぁー。

 

うん、なかなかおもしろくはありそうだな。